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ぉおっつ

 投稿者:mana  投稿日:2010年 8月19日(木)18時15分4秒
  うちの兄貴が函館ラ・サール高等学校出身です。

私は、まだ小学低学年でしたが、
アンリ・ラクロア校長先生をよく覚えてますよ。

お顔は勿論、お名前も鮮明に。。。
学祭にも行きました。

札幌へ帰る際、うちの父が飼育していた熱帯魚を寄贈したんです。
その時もアンリ校長にお会いしました。
おフランスの綺麗なお顔に
子供ながら~目が釘付けでした!!!!!

めっちゃ!!懐かしいです~

その兄貴は、現在札幌で教員をしています。

http://http://8803.teacup.com/pema68/bbs

 
 

キミ、受験番号を書きなさい

 投稿者:PEMA  投稿日:2009年 5月14日(木)13時57分27秒
  受験当日の朝、ホテルが用意してくれた「合格弁当」なるものを手にした私は、母と共に山手線~中央線と乗り継いで、飯田橋までやってきた。戦場の「家の光会館」に着くと、すでにそこには300人近い戦士達が戦闘体制にはいっていた。それぞれが最後の足掻きのごとく参考書を広げている。科目は英・数・国・理・社の5教科。周囲の真剣な様子を横目に、私は昨日もらった英語の東京案内をこれ見よがしに広げて見て、「余裕のよっちゃん」を演じて見せた。心理作戦だ。敵の動揺を引き出そうとしたのだが、うまくいったのかどうかはわからない。隣のヤツはじろじろ見ていたようだが・・・
どの教科から試験が始まったのかは覚えていないが、サクサクと解答を書いていく。思ったよりは難しくはなかった。1科目目の試験が終わり、答案用紙が回収されていくと、試験官として来ていた、後に倫理社会の授業で「ソクラテスは・・・」と講義してくれることになるY先生が私を呼び止めた。
「キミ、受験番号を書きなさい」
差し出された私の答案用紙を眺めると、解答はちゃんと書いてあるのに、肝心の受験番号が抜けていた。慌てて書き込む。Y先生が指摘してくれなかったら失格になっていたことだろう。危ない危ない。
「次からは気をつけなさい」と言われた私。
2科目目に入り、ホイホイホイと答案用紙を埋めていく。難なくクリアした私は答案用紙が回収されるとロビーのようなところでくつろいでいた。と、そこにまたしてもY先生が寄ってきた。不安にかられた私はふと、「失格、受験終了」の文字が頭をよぎる。嫌な予感がしたのだが、優しそうな顔をしたY先生は私に話しかけた。
「キミ、また受験番号が抜けていたよ」
「今度はちゃんと書いたはずなのに」と思ったのだが、答案用紙を見ると、解答は確かに私の文字だが、受験番号の欄が空欄になっていた。頭を掻きながらまた記入する。しかし、Y先生は何故、大量の解答用紙の中から受験番号の書いていないものを選出し、その受験生を特定できたのだろうか?もしや、彼はエスパーなのか?
ようやく5科目の受験を終え、1階に下りていくと母が待っていた。話を聞くと、他の受験生の中には大手の受験塾に通っている受験生もおり、彼らはこの時期、日本国中の進学校を受験するツアーに参加していて、この後も各地の受験会場で戦うのだという。聞いたことのある学校の名前がポンポンと出てくる。「ご苦労なことだ」。しかし、私はここに受かればそれでOKだ。受かってしまえば親とのネゴシエーションをしなければならないが、まあ何とかなるだろう。念願の一人暮らし(寮だが・・・)が出来る。
一応聞いておこうと思って、
「試験時間中、なにやってたん?ずっと待ってたの?」
そう聞くと母はさりげなく
「お父さんと浅草と上野に行ってきてん。お土産もあるよ」
とぬかすではないか。どうやら息子の受験を餌に東京観光をしていたらしい。母はまだいいとして、父は仕事で出張中だ。「仕事はどうなったんや」と疑問が残る。
時刻は夕刻を指し示していた。遅くならないうちに家に帰らなければならない。自分もちょっとは東京観光がしたかったのだが、仕方がない
「東京の街ってなんかややこしいな~~~」と喋っていたらすぐに東京駅に着いた。
出発間際の新幹線に乗り込むと、1泊2日の東京受験旅行は終わり。家路へと急ぐ。
 

(無題)

 投稿者:PEMA  投稿日:2009年 5月14日(木)13時55分29秒
  時は昭和の59年(西暦だったら何年かな~)、2月某日。私と母は新幹線で東京へと向った。高校の入学試験が東京であったからだ。今日から1泊2日の受験の旅。観光旅行ならいざ知らず、人生の行方を決める大事な入試を明日に控えているのであまりのんびりとはしていられない。座席に座るや否や苦手の理科の参考書を広げ、右手の3本指でフレミングの法則などをあれこれと考えていた。力学くらいはわかってはいたものの、電磁誘導などいまいちわからない。あと、ネックは化学。父は応用化学の専門家なのに、どうやらその血は受け継いでいなかったようだ。未だに誰の血をひいているのか良くわからない。(高校に入ってからも、物理の電子と化学でつまづいてしまい、建築を志すも工学部には行けなかった。その代わり美大に行ったが・・・人生って・・・涙)
ちょうど、新幹線が関ケ原を通過する頃、母がお昼を食べようというので食堂車(当時、新幹線には食堂車なるものがついていました。ご存知でしょうか?)で食事した。一時ブレイク。何を食べたのかは覚えていないが、とりあえず何か食べた。食べ終わるや否やまた座席に戻って、こんどは過去問題の研究。時速300kmで東へ進む中、約3時間の悪戦苦闘の末、新幹線は花の都、東京へ到着した。
予約していたホテルは新橋の第一ホテル。ここは大昔、家族で大江戸見学に来た際に泊ったホテルで、何故なのか不明だが、東京で宿泊すると言えば「第一ホテル」と決まっていたような・・・チェックインを済ますと、まずは会場の下調べと、新宿区に行った。新宿とは言ってもあの新宿ではなく、JR(当時国鉄)飯田橋駅に近いとのこと。東京理科大のそばに明日の戦場「家の光会館」はあった。
「“家の光”やって、やっぱりカトリックやな~~~シャレてんな~~~」
などと、関西弁の嫌味の一つくらいはかましたかもしれない。
その後、ちょうど出張で偶然東京に来ていた父と新橋で落ち合い、せっかく東京に来たのだから「銀座」で夕食でも食べようということになり、一路銀座へ。しかし、勝手の知らない街なので、どこへ入っていいものやらわからず、銀座を1時間ほどうろちょろした3人は、あこがれの「帝国ホテル」を横目に第一ホテルへと帰った。夕食を食べたのはホテルの地下のレストラン街のしゃぶしゃぶ屋。なんでいちいちそんな細かいことまで覚えているのかというと、それが私のしゃぶしゃぶ初体験だったからである。
部屋に帰ると、最初は私達(私と母)と父は別々の部屋で、2部屋とる予定だったのが、
「今からトリプルに替えてもらったら、安くつくで」
とのいかにも関西人らしい父の一言で1部屋に3人で寝ることになった。
時期は今や受験シーズン真っ最中。テレビの横にはホテルには付きものの有料の特別番組が休止中との張り紙が!!!嗚呼!!!と言っても両親と一緒なので見れるわけがない。街でもらった英語の東京案内を「英語の勉強や!」と言って眺めつつ、眠りについた。
 

(無題)

 投稿者:PEMA  投稿日:2009年 5月14日(木)13時54分1秒
  さて、函館日記第一弾。
どこから書き始めようかと思ったんだが、やはり函館との最初の出会いから書くことにした。性格的に途中から思い浮かんだことを書き綴り、時々遡っては過去のことを書くというのがどうも苦手で。時系列的に書くのが向いている。
あれは、中学3年生のとき、それまで函館はおろか北海道とはもなんの縁もゆかりもなかった。高校受験を控えた同級生達がみな同じように地元の高校を志望校にしていたのに、人と同じ事をするのに納得のいかなかった私は、ふと、書店で見かけた全国版の高校案内を購入し、どれどれとパラパラ学校選びをはじめた。私立校ばかりだったが、北は北海道から、南は九州(沖縄はあったかな???)までの学校がずらりと並んでいた。以前にも、中学2年の時の面談でアメリカのハイスクールに行きたいと言い放ったこともあるのだが、さすがにこれは直ちに却下された。それではと、国内でもいいから遠くの学校に進みたい。当時、頭にあったのは、どうしても家から出たい、家族から離れたい。それが動機だった。反抗期の真っ最中。このまま両親と同居し続けるといつの日か、彼らを殺してしまうかもしれない。かなり危機的な状況にはあった。そのためには一人になるしかないのでは?
しかし、敵(両親)を説得させるにはそれなりのネームバリューのある学校で、生活するために寮が完備されていて、なおかつ自分の偏差値で確実に合格できる学校を選んでそこに入学しなければならない。全国くまなく探して、これならと見つけたのが、函館のカトリック系の男子校、函館○○○○。
同系列の学校は鹿児島にもあるが、ここは到底無理。でも、函館ならなんとかなる。そう思うと、その学校に行きたくて仕方がなくなった。「北国」という言葉の響きにも惹かれた。親には内密で学校案内を取り寄せ、願書を出した。校長がアンリ・ラクロアというフランス系カナダ人と言うのもなんだかお洒落だったし・・・
親としては周りの同級生同様、大阪か奈良、京都の学校に進むものと考えてたんだろうと思う。最初は「なにをバカなことをやっているんだ」と思っていたのだろう。そのうち、こちらが本気で考えていることがわかると、しばし狼狽したように思う。とりあえず「その学校なら受けるだけ受験してみたら?」と諦めたようだった。でも、彼らが思っていたことと言ったら「どうせ受かりっこないんだから・・・」と、なかば安心していたようだが・・・しかし、悲願は実る。
 

(無題)

 投稿者:Y  投稿日:2008年 4月23日(水)15時47分27秒
  元気そうで何より。
あっちから妨害されてないかな?
 

Y君へ

 投稿者:PEMAメール  投稿日:2008年 3月19日(水)13時47分38秒
  チベット支援活動しているので最近のチベット情報には敏感になってます。
毎日ネットで情報収集の毎日。まあ、いま働いてないからね。
それとは別にアムネスティインターナショナルでボランティアやってます。

http://www.geocities.jp/pema196805/#

 

(無題)

 投稿者:Y  投稿日:2008年 3月 4日(火)10時24分42秒
  元気か?  

B14より

 投稿者:PEMAメール  投稿日:2007年11月21日(水)14時42分56秒
  B133様。
おいでいただきありがとうございました。
B133というと寮生番号ですね~確かに同級生だ!!!
インドには3ヶ月、ダラムサラというチベット人の町に
CADを教えに行ってました。
ネパールにも行きたかったんだけど、チケットが取れなくてね。
ヒマラヤトレッキングしたかったんだけど・・・
その代わり翌年チベットに行きました。

そうか~ミスコンのメイクは美容部員が!!!
ボランティアというのが泣かせるね~
どうりで綺麗に見えたのか。
お化け屋敷は儲かったでしょ?
羨ましかったな。
3年の時はディスコをやって少しは黒字になりました。

田中義剛も来たねぇ~
アンコールのときに電源切られちゃって・・・

六本木のウィナーズ!!!懐かしい!!!
今でもあるのかな?

http://www.geocities.jp/pema196805/#

 

なんだか懐かしい話ばかり

 投稿者:B133  投稿日:2007年11月12日(月)18時54分1秒
編集済
  ども、同級生が来ましたよ。同じクラスにはなったことないかなぁ。
まだHPに来たばかりでインドあたり等は読んでないけど、自分は15年くらい前に半年ばかりインド、ネパールの旅をしましたよ。バラナシ、プリー、カトマンズ、ポカラ等で沈没してました。

ミス・ラサールは丸井か三越の美容部員(化粧品売り場の女の人)がボランティアで来てキチンとメイクしてくれていたのだよ。
学祭でお化け屋敷をやっていたのは我がクラスだ。映画よりは楽しかった気がする(笑)

田中義剛も来たねぇ。抜け出していて見ていないけれど。三年の時だ。

おまけにおいらもハウスフリークだ。東京時代は六本木のウィナーズやWAVEでレコード買いあさったものさ。UNの121持ってたら聞かせてくれ。db featuring BAMBI のI HAVE A DOREAM 。
ラリーレバンには会った事あるのかい?それっぽいが。
 

汗で作った塩ラーメン

 投稿者:PEMAメール  投稿日:2007年11月 5日(月)04時12分41秒
  高校生になって全国放送で母校の校歌を歌えるのは地区大会を勝ち進み、ハレの舞台、甲子園で勝利した高校球児の特権であるが、甲子園に行かなくても全国放送で校歌を歌う機会は存在した。
80年代に一世を風靡した「夕やけニャンニャン」なるテレビ番組をご存知だろうか?1985年4月1日から1987年8月31日まで続いたフジテレの夕方のバラエティー番組で、「おニャン子クラブ」生み出したのもこの番組である。この番組の特別企画で「甲子園に行かなくてもテレビで校歌が歌える」という企画が持ち上がった。2チームによる対抗戦で同じ高校に通う3人組がチームとなり、自分の学校の自慢を互いに言い合い、判定の末勝った学校が校歌を歌えるのだ。しかし、単なる学校自慢ではつまらない。そこで勝利のキーとなったのは各校のパフォーマンスである。
時は1986年。全国の各ブロック予選を勝ち抜いた高校が一堂に集まり、学校自慢と様々なパフォーマンスで競い合い、見事優勝したチームはタイトル通り自校の校歌を歌えるという企画である。この企画に北海道で一番早い卒業式でド派手なパフォーマンスを繰り広げるわが母校の生徒は飛びついた。確か一つ下の学年だったから26期生だ。今ではみんな38歳のいいオヤジであるが・・・当時は若かった。
企画が職員会議に持ち込まれたときには、毎年恒例の「高校生クイズ」の常連校で、1993年には全国制覇も果たしている鹿児島の兄弟校なら「これぞ母校の誇り」と胸を張れるのだろうが企画自体が悪ふざけでイメージを損なう格好の議題として反対の意見が大半をめ、PTAの会議でも反対されたそうである。しかし、そんな逆風の中、生徒の見方をして一肌脱いだのは亀○神父である。普段は宗教の授業(一応カトリック系の学校だったので・・・)にロカの福音書を読んで聞かせる物静かな神父さんであったが、このときは北海道予選で、神父のいでたちで城之内早苗の「あじさい橋」を熱唱し、全国大会出場に大きく貢献した。
わが母校のチームが全国大会で披露したのは、青春のシンボル・汗の結晶をベースにしたラーメンを作る事であった。名付けて「青春と言う名のラーメン」。一生懸命に汗をかき、その汗を蒸発させて塩分を抽出、これをスープのだしとした塩ラーメンを作り、当時のラクロア校長に試食していただく、という趣向である。運ばれた時は怪訝な表情をしていた校長も、一口、又一口とすすり、やがて満面の笑顔で"Umm,delicious!"とお褒めになった。このインパクトが強かったのか、母校は全国優勝して晴れ晴れと全国ネットで校歌を歌ったのである。

http://www.geocities.jp/pema196805/#

 

あれ???スキー部が無くなってる(涙)

 投稿者:PEMAメール  投稿日:2007年11月 4日(日)21時51分20秒
  母校のサイトが新しくなっていたので「どれどれ」と見ていたらクラブ紹介のページに目が行った。そこで衝撃の事実が・・・
http://www.h-lasalle.ed.jp/shs/sframe.htm
スキー部がないんである。どこを探してもスキーのスの字もない。雪の少ない函館とはいえ一応北海道だ。スキーの本場である。まあ最近はスキーよりもスノーボードのほうが主流であるだろうが私にとってはそんなことはどうでもいい。青春の1ページを飾る思い出の部活動だったのである。その思い出のクラブが無くなってしまった。高校でないものはもちろん付属の中学にもない。そこでスノーボードならと思ったが、それもない。その代わり水泳部なんてものがあった。しかし、プールのない学校でどこで泳ぐんだよ?もしかしてプール造っちゃったの?
スキー部がなくなった理由はいくつか考えられる。まず、スノーボードに対してスキーっていうとダサいイメージがあるのでは?だからみんなスキーをやらなくなったのかも知れない。また、顧問のみっちゃんが退職したことも大きいだろう。もう一人の黒○先生ももう高齢だ。とっくの昔に引退されているだろう。また、シーズンになると函館近郊のスキー場に練習に出かける。放課後から出発するのでどうしてもナイターの練習になってしまい、帰ってくるのは夜になる。1年生のときは前半の義務自習をサボることになった。これが問題視されたのか?それに金もかかる。
スキー部に入ったのは、元はといえばラグビー部のハードなトレーニングに付いていけなかったためである。運動系のクラブの中で一番楽そうだった事と、せっかく北海道にまで来たのだから北国らしいクラブとしてスキー部を選んだのである。安直と言えば安直だ。シーズンオフの練習は軽いストレッチとのんびりゆっくりのランニングだった。スキーの経験はというとほとんどない。スキーの道具などまったく持っていなかったので夏休みに帰省した折にミズノの本店で一式揃えた。けっこうな出費である。
そして、いよいよ雪が降ると本格的なスキーの練習に入るのだが、この練習に行ったスキー場がまたショボかった。東山スキー場と言うが、スキー場とは名ばかりで、何せリフトがないのである。唯一、巻き上げ式のロープが一本垂れているだけだった。上に上がるにはこのロープにしがみついて上がるしかない。慣れてくるとコツはあるのだが、最初のうちは必死になってしがみついていても握力がないせいか、途中で転んでしまう。その度に一緒に練習していた少年スキークラブのガキどもに白い目で見られたものである。何よりも悔しかったのはそのガキどもがポールを立てて回転や大回転の練習をやってる横で顧問のみっちゃんに教えられてへっぴり腰でボーゲンをやっていたことだろう。最初は転ばないで滑り降りることだけで精一杯だった。
ところが、若い高校生のころというものは大したもので2年生の冬には函館近郊のニヤマ高原スキー場で行われた高松宮スキー大会の大回転に出場し、何度も転びかけながらも完走するまでになった。何事も人間は好きなことなら頑張れるものだ。高校時代の特訓のおかげで、もう何年もスキーには行っていないが、ゲレンデを高速でぶっ飛ばすことは多分出来るだろう。何よりも体で覚えたのだから・・・後日、PTAの面接で大阪に来たみっちゃんに私の母親は「スキーに傾ける情熱を勉強にも注いでくれたらいいんですが・・・」と言われたそうである。落ちこぼれの始まりだ。
もうひとつ印象に残っているのは、2年生の冬休みに函館の遺愛と白百合という女子高のスキー部と合同でニセコのワイススキー場に合宿に行ったことである。あの時はハーレムだった。同じキリスト教系の学校だったのでクリスマスは盛り上がったものである。1年学年は向こうが上だったが、「あの時、告白していたら・・・」と思う女の子が何人かいたことは今だに悔やまれる。
ところで、スキー部は無くなってしまったが、中学では毎年、スキー研修なるものがあるそうである。もちろん泊り込みである。ホテルなのか旅館なのか定かではないが、そこにはテレビとビデオデッキがあったらしい。さすがはわが後輩たち。やってくれたようだ。通販でAV十数本を一部の寮生がワリカンで購入して上映会をやったらしい。しかも無修正のビデオだ。計画の規模が大きかったためか、誰かがちくったのか、最終的に教師へ情報が伝わり鑑賞していた者は後日芋づる式判明した。自首するものもいたそうだ。可哀想なのは親に「無修正AVを見ました。すいませでんした。」と告白しなければならない生徒である。親はそのときどんな思いで息子を見つめたのだろう?

http://www.geocities.jp/pema196805/#

 

学園祭今昔物語その2

 投稿者:PEMAメール  投稿日:2007年10月13日(土)14時35分35秒
  学園祭つながりでも一話。函館ラサールの学園祭は、例年7月の第3土日に行われている。そのうち土曜日の夕方からは「中夜祭」なるものが組まれている。学園祭では一番盛り上がるイベントだ。ステージ上の出しものとしては、近隣の女子高生をスカウトしたパンチでデートなどのほのぼのとした企画や、在校生場バンドの演奏、各クラブが練りに練った出し物(剣道部は毎年そのクオリティーでは傑出していた)などがほとんどであるのに対し、一つだけボルテージが再強調になるイベントがあった。その名も「ミス・ラサール・コンテスト」。もちろん男子校なのでミスは居ない。そこで急ごしらえをした美少年にメイクを施し衣装を着せて口パクでステージに上げるのだ。女装コンテストと言えば、大体は「下手な女より女性的」、言葉を変えれば男性から見た理想の女性像を演じる(歌舞伎の女形のようなもの)か、さもなければ受け狙いのキワモノ(お笑い芸人の女装キャラのようなもの)か、その両極端のコントラストが面白い所だが、それはミス・ラサールでも発揮されていた。所がである、私の一年先輩の24期のミス・ラサール候補者の中に本当に可愛い子(先輩)が居たのである。場内は騒然となった。薬師丸ひろ子の物まねをさせると右に出るものはいない。衣装やメイクなどの用意は周到に行われていたそうだ。そこは金のある私立学校だ。プロを雇ったに違いない。プロの手にかかると美少年はいとも簡単に美少女に早代わりするという証明であろう。その後、その先輩がどういう道を選んだのかは不明であるが、ばら色の未来が待っていたとは思えない。

http://www.geocities.jp/pema196805/#

 

お昼寝

 投稿者:昼寝ん坊メール  投稿日:2006年 7月27日(木)10時02分15秒
  函館の高校生のみなさん
このさわやかな北海道の夏こそ能率をあげて
そしてちょっとプチ昼寝
Yahoo!Shoppingに寄ってみて

http://store.yahoo.co.jp/sunlifestore

 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2006年 5月 4日(木)23時00分11秒
  そろそろ速歩だったかな。  

更新

 投稿者:PEMAメール  投稿日:2006年 3月12日(日)20時22分38秒
  なにぶん昭和の話などで記憶が定かではありません。
4月のに入ったら学校や寮のサイトのイベント通信を
頼りにのんびり書き続こうとおもいます。
 

少々お待ちを

 投稿者:PEMAメール  投稿日:2006年 3月12日(日)03時15分32秒
  最近、物忘れが激しくなってきました。
昭和の話を思い出すのはけっこう辛いです。
学園寮のサイトでイベントなんかがあったときに
それについてコメントすることにしました。
まあ、忘れられない思い出もあるんですけどね・・・
 

@昼休み

 投稿者:  投稿日:2005年12月22日(木)11時49分39秒
  少し早いけど、メリクリ!  

Yくんおひさしぶり

 投稿者:PEMAメール  投稿日:2005年10月15日(土)13時59分45秒
  ホームページのコンテンツがごっちゃしなって来たので
テーマごとに別の無料サイト使うことにした。
gooのページかもう限界だから。
先回のときより母校の行事はなかなか盛況のようだな。
「速歩」か会ったり「学園祭」があったりと・・・
今でもやってるのかな~ミスコン。

http://<img src="http://www.geocities.jp/pema196805/hakodate.jpg">

 

足跡ぺたり

 投稿者:Y  投稿日:2005年10月14日(金)22時45分17秒
  元気か~。  

お久しぶりです ( ̄▽ ̄) ニヤ

 投稿者:涼子  投稿日:2005年 8月21日(日)14時12分59秒
  先日帰省中の友達と会いました

25日には、その友達お勧めのライブを金森倉庫に見に行きます
近藤房之助と憂歌団のボーカル木村充揮です
と言っても世代が違うから、良く分からないか?

30代って37才歳なんですねd(*⌒▽⌒*)b ニコニコッ

30日にはこんなイベントもやってます↓
チケットが手に入ったので是非行ってみたいと思ってますよ
中々面白そうでしょ?

http://htanaka.sfc.keio.ac.jp/bar/

 

函館から・・・

 投稿者:涼子  投稿日:2005年 8月 6日(土)09時07分7秒
  函館日記楽しく拝見しました
たった高校時代の3年間しかこちらには居なかったんですね
それでも楽しかった様子がうかがわれて、函館人として嬉しいです

あの有名な日吉の高校なんですね
私もそこです・・・な~んて男子校だもの、嘘に決まってるよね

私の知り合いも同じ高校を出て、スポーツ誌の関西支社に居ますよ
夏には毎年実家に帰って来るので会ったりしてるけど
そう言えば今年はまだ連絡がないかも・・・
でも・・・多分歳は10才位上だと思います

今日はチベット日記まで読めなかったけど
又時々遊びに来ますね~♪
 

現実逃避

 投稿者:Y  投稿日:2005年 6月29日(水)17時22分39秒
  高校野球。
今夏は地区予選2回戦0対18で5回コールド負け。
変わってないな、母校。

社外媒体の締め切りが2本迫っているが、全くの未着手。
うち1本の新○社は、エディターの追い込みが厳しい。
借金の取立人のようだ。
寮だったら1時消灯だから、徹夜しなくていいのに(現実逃避
 

HNで連想

 投稿者:Y  投稿日:2005年 6月13日(月)17時21分32秒
  レスありがとう。

ところで、ハンドルネーム、蓮って意味なんでしょ。
蓮、はす、ハス…。
2、3年、某巨大掲示板でハスを悪用したコラージュが大流行したのをご存知ですか?
ネット史上、最強最悪の黒゛画像じゃないかな。
「モロ画アップしますた」と書いてあれば、迷わずクリック。
現れる画像は。。。
厳しいかったなあ。
怪しいリンクがあれば、躊躇せず踏んでみるのがネットマナーとはいえ(ホントか

蓮、思い出しただけでも鳥肌が立ってきた。
 

はじめまして。

 投稿者:Yukiko  投稿日:2005年 6月 3日(金)00時21分42秒
  面白すぎて、全部読んでしまいました。ここだけの話ですが、誰かの日記を全部読んだのって、初めてです。今度は、チベット&インド旅行記に取り掛かりたいと思ってます。

それでは、失礼しました。
 

休眠?

 投稿者:Y  投稿日:2005年 5月31日(火)10時16分18秒
  休眠?
スキー部顧問の現国M先生、退職したんだよな。
母校(一応、学校名は伏せてるんでしょ?)の先生方はかなり入れ替わってる。
20世紀、しかも昭和の卒業生だから当たり前かあ。
 

HPのリンク

 投稿者:HOSメール  投稿日:2005年 4月26日(火)22時46分56秒
  どうもOです。
確かに同窓会HPのメンバー一覧からたどってきました。
同窓会HPに登録した私のHPのリンク間違ってというか、ドメイン変更したの忘れてた。
修正したので見てみてください。(たいしたことないけど)

実は5月のゴールデンウィークにそっちへ行く用事があります。
愛・地球博を奥さんにせがまれて一緒にいくことになっているのです。
そのあと京都に寄ります。
ちょっと足を伸ばせば大阪なのですよね。

もしよければ携帯電話の連絡先なぞ教えたいので、良かったら直メールくださいませ。
メールアドレスは同窓会HPにも載せてたはずです。

ではでは。
 

同室者

 投稿者:HOSメール  投稿日:2005年 4月24日(日)18時19分30秒
  やっぱり高校生時代というのは年齢的に人の精神的な成長という意味で固定される年代なんですね。全然かわらんなぁ。

前置きはこんな感じで、僕を覚えてますか?
2年、3年と寮で同室だったOですよ。

当時は君のことを「長生きしなさそうなやつだなぁ」なんて思っとりましたが、生きてたんだね。
そんなわけで私も30歳までは北海道にいたのですが今は東京で働いてます。
いまどきのIT業界っちゅうやつですがね。。。。

ここに書き込みしていたYも元気そうで。。。
懐かしいねぇ。

昔から巨乳好きだった私ですが、結婚した相手も結局巨乳な人でした。
そんなことよりYだけでなく私も東京へくることがあれば連絡ください。
久しぶりに君がどうなったかこの目で確かめてみたいです。

それではまた。

P.S.
ラクロワ校長が入学式の挨拶で使った言語は英語だったよ。
中学生でもわかるようなボキャブラリでわかりやすい英語だったと記憶しています。
要旨は「君らはすでに大人だ。よって本校も君らを大人として扱うから君らも大人(ジェントルマン)として振舞うように。。」てなものだったはず。。。
 

再び本人登場

 投稿者:  投稿日:2005年 4月 6日(水)18時24分19秒
  管理人様

レスありがと。
今、@記者クラブ。
日銀総裁会見が終わって、原稿やっつけたとこ。

半径200メートル以内に、25期生が自分を含め最低3人いる。
世の中狭いもんだ。
シコチュはどこにいるんだか?
同期生が飲めば、消息確認だけで3時間はかかるだろうなあ。

あのエロ本たち。
帰省した際、処分に困って、
図書館の返却ポストに放り込んだ覚えがある。
シーザーの物はシーザーに、本は図書館へ…。

では。
 

いつか

 投稿者:YY  投稿日:2005年 4月 4日(月)00時31分36秒
  東京に来ることがあれば、
このサイトででもいいから、教えてください。
どっかで、会いましょう。
 

返信

 投稿者:Y  投稿日:2005年 4月 4日(月)00時27分30秒
  い△○゛君、ごぶさた!!!
↓のY(B2*)です。
覚えててくれて、すごくうれしいな。

それにしても、細かいとこまで正確に覚えてるもんだなあ。
感心するよ。
花園書店には、ストライクの本はなかった。

あと、ここで回顧談を続けるなら、
本人の生存確認と事前了承が必要だと思う。
30代半ばだと、意外な人間が、すでにこの世にいないもんだ(泣。。。

追伸)Yは理学部も工学部も落ちてない。
だって、受けてないんだから。
受験は6勝5敗(勝ち越しとは言わないか。。。
結局、東京の文系学部に逝って、記者やってる。
寮生番号が1つ違いで相撲部のサ○ン君も、Yと同業。
東京の某記者クラブで、一緒に並んで会見に出たこともあった。
世の中、狭いねえ。

そういえば、数学のO先生は、宿題やってないと、
「文科に行って、ポルノ書きにでもなってください!」
って行ってたな(遠い目
俺も、ポルノ書こう。
 

お邪魔します。

 投稿者:mist  投稿日:2005年 3月 6日(日)17時58分59秒
  HPにお越しいただいたmistと申します。
生まれも育ちも北海道。生粋の道産子で、究極の蝦夷loverです(笑)
さっそくお邪魔しにきました。

書き込みのあたりで、若干気配を感じましたが・・・
函〇ですか!やはり・・・(*_*) ええ。わたしくも知り合いが
そちらの卒業生であります(笑) 意外と、ニアミスかもしれませんね。

ナイチ(あえて!)からいきなり北海道じゃ・・・さぞかし大変だったのでは?
でも、全く環境が違って、楽しかったかもしれませんね。

函館日記、更新期待しています。

追記:本投稿、お邪魔でしたら、削除お願い致しますm(__)m

http://blog.goo.ne.jp/mist_boom/

 

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