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ザリガニも散歩

 投稿者:Setsuo  投稿日:2017年 8月22日(火)20時41分10秒
  今朝は久しぶりに晴れて気持ちの良い散歩が出来ました。
未だ山は見えませんけれど。

農道ではそろりそろり、ザリガニも散歩していました。
刈入が近づくと田んぼは水を落とすので生活環境は様変わり、ザリガニにとっては、新天地を求めてのやむを得ずの散歩かもしれません。
 
 

大雨テレビ

 投稿者:Setsuo  投稿日:2017年 8月21日(月)14時05分50秒
  昨年くるまを軽に変えたら車輪が小さいので道路からの段差を超えられない。そこでプラスチックでできた器具を道路の端に置いて車庫入れしています。土曜日はそのプラスチックが2メートルほど移動していたので、さいたまも相当な土砂降りだったようです。

こっちは大雨でも甲子園はお天気、テレビの前で4試合。今年の高校野球は超面白いです。点差が開いていてもあっという間に追いつくし、試合は終わってみなければわからない。
昨日の明豊もよく頑張りました。

今日は高校野球は休養日だそうで、私のテレビもお休みです。
ゆっくりのんびり散歩、田んぼにはカカシがたってきました。刈入も近そうです。
 

大雨テニス

 投稿者:さくら  投稿日:2017年 8月20日(日)19時32分38秒
  不安定な天候が続いて、突然ドシャブリになったりもします。

昨日(土)お昼は、ちょうど我家の辺りはドシャブリ天気。
それでも出かけてコートに行けば、メンバーみんな勢ぞろい。

小雨の中始めると、間もなくカンカン照りの青空になり、
ムシムシ湿度の高い中、たっぷり日焼けをしつつ楽しみました。
(日焼け止めクリームは、汗で流れて効きません。)

今日はいちにちノンビリ、
文芸春秋買って、芥川賞「影裏」を読みました。




 

老化現象

 投稿者:Setsuo  投稿日:2017年 8月17日(木)17時20分22秒
  8月に入ってガラスコップを落とし、また落とし、二度あることは三度ある。三度目は今日、出汁を入れたガラス容器を冷蔵庫に戻すときに落としてしまった。切れ端で手を切ったので病院へ。
看護婦さんは「せっかくとったお出汁をもったないことしましたねえ」だって。
「これも歳のせいですから」というと、
「いえいえまだまだおわかいですよう」
機嫌治して帰ってきました。
 

終戦の日。

 投稿者:さくら  投稿日:2017年 8月15日(火)19時43分42秒
  NHK(スペシャル)で、いろいろなドキュメンタリー番組が放映されています。

本土空襲についても先日、その悲惨な映像が流れましたが、
私の故郷・徳島も、7月の数度に亘る空襲で焼け野が原になりました。

本当に、平和の大切さを思います。


 

終戦記念日に

 投稿者:Setsuo  投稿日:2017年 8月15日(火)13時12分50秒
編集済
  母上よ消しゴム買うよ二銭給へと貧をしのぎしあの日懐かし (石川誠三)

石川誠三 海軍中尉 20歳、この歌を残して人間魚雷回天で出撃しました。

二度とこんなことがないように祈るばかりです。
 

盗賊除け

 投稿者:Setsuo  投稿日:2017年 8月12日(土)06時43分18秒
  今朝も小雨です。涼しくてありがたいのですが・・・。散歩は止めて写真の整理。
今夏の埼玉は日照時間が短く、農作物の生育が心配されています。
サツマイモ畑に秋葉さんのお札は「盗賊除け」。
しっかり照ってもらって実らないことにはお札が泣きます。

 

太平洋戦争 山下奉文のこと

 投稿者:Setsuo  投稿日:2017年 8月11日(金)20時56分34秒
  さくらさんのお義父さんご健在で何よりです。私の叔父も96歳で達者です。これまで殆ど話さなかったのに2年前から満州での兵役について話してくれるようになりました。みんな亡くなったので何を話しても誰の迷惑にならないからと言っています。


待てしばし勲残して逝きし戦友後な慕いて我も行きなん  山下奉文

山下奉文は陸軍大将。不戦論を説いて東條英機と対立し、外地、特に南方戦線をたらい回しにされた。しかしその戦闘ぶりは果敢で人は「マレーの虎」と呼んでいた。終戦当時ルソン島南方面司令官であった彼は、なお山に潜伏していたが、ミズーリ―艦上で降伏調印式が行われた翌日の9月3日に投降し、マニラの軍事裁判で連合国将校の多くの予想に反して死刑の判決を受け、日本の戦犯の第一号として、21年2月23日に絞首刑に処せられた。
ロスパニオス刑場の死に立ちあった浄土僧森田正覚の記録によれば、処刑直前この歌を残し、北の方角に向かって日本の復興の早からんことを願い、従容として死にふしたといわれる。                  (松村雄二「辞世の歌」笠間書院 より)

この歌は、終始現場にいて兵士と共に過ごした指揮官らしく、自分の指揮の下に死んでいった戦友に対する思いを頭を下げながら淡々と述べているようで、人柄が偲ばれます。

それにしても、この山下奉文にしろ、硫黄島の栗林中将や、有名な山本五十六にしろ、当初からアメリカ相手に無謀な戦争をしかけることに反対していた軍人ほど、戦地にあっては果敢な行動を示しているように思われます。
実力があるからこそ堂々と反対意見が言えた。逆に言えば、殆どの人は反対だったけれどなかなか言えなかったということでしょうか。
 

太平洋戦争

 投稿者:さくら  投稿日:2017年 8月10日(木)22時04分48秒
  この時期になるといろいろ考えます。

私の父は海軍、スマトラ島パレンバンで終戦を迎えました。
この地に帰って私が生まれました。
私の義父は陸軍、中国上海で終戦を迎えました。
帰って妻が生まれました。96歳でまだまだ元気です。

松戸市図書館で、太平洋戦争研究会・ふくろうの本
「図説太平洋戦争」「図説満州帝国」を借りて、読んでいます。


 

8月15日を前に 栗林忠道

 投稿者:Setsuo  投稿日:2017年 8月10日(木)15時11分17秒
  この時期になるといろいろ考えさせられます。

国のため重きつとめを果し得で矢騨尽き果て散るぞ悲しき  栗林忠道

栗林忠道は陸軍中将。クリントイーストウッドのアメリカ映画「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」二部作に取り上げられ世界に知られることになりました。あの映画で私も初めて知りました。

彼はアメリカとカナダに7年間留学したことがあり、アメリカの国力を知悉、戦争には反対だった。昭和19年6月硫黄島守備隊2万の総司令官として死を覚悟で赴任、5日で落ちるとみていた米軍に対し、ゲリラ戦で対応、米軍上陸から1ヶ月以上にわたって同島を死守しました。米軍の死傷者は日本を上回る2万5千に達したということです。

この歌は、最後の突撃前、大本営に打電した訣別の辞に追記されていたもので、背後には悔恨、絶望、残念、謝罪といったあらゆる思いが渦巻いていたのでしょうが、「悲しき」として淡々と吐露しています。しかし死後大本営から発表された際には、「悲しい」という語の女々しさを嫌った上層部により「口惜し」と改竄して発表されたそうです。
               (松村雄二「辞世の歌」笠間書院 2011年 より)
 

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